米国における同時多発テロへの対応について
9月11日、世界を震撼させる事件が起きた。
テロは理由が何であれ悪である。自由や安全そして人道、文明に対する兆戦であり、国際社会が外交、軍事、言論などの総力を結集して立ち向かうべき敵である。
米国は早々と報復を宣言し、軍事力の行使の準備を着々と進めている。国連安保理は、決議1368を採択し、「テロ攻撃に対応するため、あらゆる必要な手順を踏む用意がある」ことを表明。NATO19カ国は、集団的自衛権を行使する準備があるとし、スイスやオーストリアといった永世中立国をふくむEU15カ国は、「米国政府が今後取る軍事行動は合法」とした。ロシアも米国を支持するといういわば「大同盟」が形成されつつある。
「報復は行なうべきではない。新たなテロを生むだけ」という議論がある。テロ撲滅のためにありとあらゆる外交努力、特に中東和平問題への取り組みや貧困問題といった根本原因の除去や国際的な協力の枠組み構築が必要なのはいうまでもない。そして、今回のケースは、対テロであって、対アラブ、対イスラムには絶対にしないことは最も肝要な点である。しかし、同時に、残念ながら、原理主義的テロリズムには合理的妥協は通用しないという冷厳な事実から目をそらしてはいけない。
では、日本は、この「大同盟」にどうかかわるべきなのか。
日本人のあり方、モラルそして日米安保の将来にかかわる分岐点である。
果たして、日本は支持を表明するだけでよいのだろうか。テロは文明社会全体に対する攻撃であり、米国は日本の同盟国である。犠牲者には日本人も含まれ、日本企業はニューヨークで経済活動を行なっている。日本も当事者である。当事者であるということは、国益に従って、自ら何をすべきかを考えなければならない。その点、小泉内閣は、湾岸戦争時よりはましだったとはいえ、事件勃発後、まず米国の要請待ちという姿勢がみられたのは残念である。
今後、日米安保という同盟を日本の国益にどのように活用するかという視点も極めて大切である。
今回のテロは民主主義社会全体への攻撃であると同時に、直接的には米国への攻撃である。米国は言うまでもなく日本の同盟国。やはり、同盟国というのは、特別に大事な国である。
日本を含むアジアの経済安定、朝鮮半島の軟着陸、中国・ロシアの国際社会への取り込みも日米安保を上手に活用してはじめて可能性が拓かれる。アジアには多角的な安全保障の枠組みは簡単には育たない。米国との同盟関係は互いの国益に合致している。
そして日米安保という同盟を進化させねばならない。目的と責任と情報と政策決定過程を共有し、同盟が元来有する相互抑止機能をはたしていけるようにしなければならない。そのために、何も軍事的に完全に双務的であれ、ということではない。大切なのは、トータルとしての負担のバランスである。
米国は現在唯一の超大国である。当然一極主義的な衝動もあるだろう。日本はそのことに対し抑制する役割も果たしていかねばなるまい。今回のケースでいえば、米国が軍事力を行使し、それ自体は必要だとしても、その軍事力の行使が正当な自衛権の行使を超える、つまり過剰報復に至る可能性も否定はできないだろう。そういう時に、米国に注文をつける同盟国日本でありたい。
国際協調下でのテロとの対決、日米安保の将来を考えると、今回のケースにおける日本の対応は、在日米軍の基地使用や資金協力で済ますわけにはいかない。日本の生き方の原理原則の範囲内で出来うる最大限の協力を行なう必要があるの当然である。その上ではじめて、米国との質の高い対話が担保できるのだろう。
しかし、残念ながら、日本には対応する法律がない。周辺事態法の適用は、論理的に無理である。周辺事態法が、日米安保条約の下での法律である以上、6条の極東条項との関連でその適用は不可能であることは明らかだ。(参考議事録)。その点において、小泉首相は、もっと早く、周辺事態法の適用の可能性を排して、新法の準備に入るべきであった。決断が一週間は遅れている。
今回の新法における自衛隊による後方支援は、集団的自衛権に踏み込まない方がよい。本来、集団的自衛権の行使について、私は、その一部の行使は認めてよいとの考えだが、緊急事態にドタバタと決める話ではない。それらは、平時において、しかも憲法の改正時に正々堂々と行なわれるべき議論である。
今回予想される事態にあっての自衛隊による後方支援は、医薬品、食糧、燃料などをディエゴガルシア島や中央アジアの基地などへ輸送することなどを主任務とするべきである。初めて自衛隊が戦場近くに派遣されるのである。あまり背伸びしない方がよい。
本日から始まった臨時国会は、テロ国会の様相である。