通常国会終盤と代表選
通常国会中盤から終盤は、ネクスト総務大臣として郵政関連法案への対応、武力攻撃事態対処特別委員会理事としていわゆる有事関連法案への対応、国会等移転特別委員会理事として国会等移転問題の取り扱いの対応などに大半の時間が費やされた。
もう既に時間が経過しているので、多くは書かない。
まず、郵政関連法案。これを多くのメディアは、「小泉改革の本丸」ともてはやした。しかし、実態は改革という名に値するほどの代物ではない。法案をよく読めば一目瞭然。封書やはがきなどこれまで政府が独占してきた信書便事業に民間業者を参入させると息巻いて(信書便法案)も、民間参入の条件が必要最小限を超えている。郵政公社の中身を規定する法案(公社化法案)は、橋本内閣時の産物で、まさに「本丸」ともいうべき郵便貯金や簡易保険に対して何の風穴も開けてはいない。このレベルの法案で大騒ぎする自民党の族議員は論外。詳しくは、委員会質問(参考議事録)を参考にして頂くこととして、私の役割は、総務部門の責任者として、郵政3事業について自民党以上とも思われる幅広い意見のある民主党内をまとめることであった。結局、民主党はほぼ一致した、しかも前向きな対応を取ることができた。約1年間かけてコンセンサスを得てきた成果でもある。丁寧に時間をかければまとまるのである。
次に、有事関連法案。私は、緊急事態時に備える法整備は必要だと考えている。ただ、一読して、政府提出法案は出来栄えが良くないと感じた。実効性や過度のあいまいさなどの点で問題がある(私の委員会質問はこちら→)。作り直して、出し直した方がよいとの立場であったが結局、継続審議となった。米軍との関係やいわゆる国民保護法制を付けた本格法案でないと議論にならない。
国会等移転問題。私は賛成の立場。最も手っ取り早く日本を改革する「最大の構造改革」とさえ思っている。
しかし、この問題での移転先候補地とそれ以外の地域との関心のギャップは大きい。国民全般の関心も盛り上がらない。私が、石原委員長辞任に伴って筆頭理事になった時は、灯が消える(次期国会からは国会等移転特別委員会を廃止する)寸前であった。田野瀬自民党筆頭理事と相談し、熊谷民主党国対委員長をはじめ、大島自民党国対委員長、各党理事とかけあった結果、①厳しい社会経済情勢を踏まえ、移転規模、形態などの見直しをした上で、②来年の通常国会の本会議で国会等移転の必要性の可否を再決議することを申し合わせることとなった。
さて、代表選である。
私にとっては、2つの山があった。ひとつは、若手の一本化調整。ふたつには、再選した鳩山代表の人事をめぐるゴタゴタである。
通常国会も終盤にさしかかった頃から、当選一回、二回組の来室が増えていった。彼らの主張は、「このままの民主党では、次期総選挙は戦えない。思い切って若手の代表をつくる必要がある」というものであった。
私は、民主党低迷の原因を鳩山代表にのみ求めるのは間違いだと思う。ただ、①いつまでも鳩山さんや菅さんにのみ依存する民主党から脱皮しなければならない、 ②鳩山・菅・横路という代表選の構図では前回と何ら変わらず、国民の関心を集めることは不可能だ、ということもあり、若手の候補者をつくることとなった。
ところが、騒動となる。4人もの若手が一度に手を挙げることになったのだ。推薦人確保見込みからすると、事実上前原、野田両氏の争いであったが、両者一歩も引かない。当初は2人とも出馬してもらうというのも一案かなと軽く考えていた。
しかし、①両者に政策の違いはあまりみられないこと②この騒動で「若手まで旧党派をひきずるのか」という印象を国民に与えてしまっていること③勝算などを踏まえ、私も一本化に乗り出すことにした。
盆明けの8月23日、どちらかといえば一本化に消極的であった前原氏と昼食を取りながら話をした結果、前原氏本人も理解。野田陣営を代表する樽床氏と前原陣営からの私とで、前原、野田両氏及び両陣営が互いに納得できるルールづくり作業と環境整備を行い、なんとかまとまった。その結果、僅差で野田氏が勝利。前原氏は候補者から降りた。前原氏は、私にとって、松下政経塾同期、入塾以来の盟友でもあり、最も信頼できる人物の一人である。本人は無論だと思うが、一本化の必要性を訴えた私にしてみれば骨身にしみるつらさであった。
9月22日、決選投票の結果、鳩山氏がわずかの差で菅氏を破り再選。当然、私は、脱旧党派を合言葉に前原氏らとともに誠心誠意野田氏を支援。国会議員は若手中心に44名、公認候補者も若手中心に22名まとまった。が結果は及ばず。
翌23日、激震が走った。鳩山氏は、幹事長に中野氏を指名。若手は一斉に反発した。若手の目にはあまりに露骨な論功行賞、そして旧党派人事に映り、某全国紙は翌日の社説で「開いた口がふさがらぬ」という見出しをつけた。
24日、密かに鳩山氏と会った。鳩山氏側からの要請であった。元来、人事の結果を聞いて騒ぐのは筋の良い話ではない。ただ、私は忌憚なく彼に意見を申し上げた。話の内容についてはまだ生々しく、今は書けない。
24日と25日、私以外の同僚からも意見を聴きながら鳩山氏の心は完全に幹事長人事撤回で固まった。
しかし、鳩山氏の心は、26日に再び大きく揺れた。
君子は豹変するという言葉が示すように、一度の豹変はある意味で面目一新のチャンスである。だが、(短期間での同一課題への)二度の豹変は、単に大きな失望しか生み出さない。
民主党がこのままで良いはずはない。