新たな松明が燃え尽きるまで
歴史的出来事である。
首相候補を擁しての政権交代は、戦前戦後通じて、つまりは政党なるものが生まれてこのかた初めてである。
それは悲願であった。「政権交代のある政治」は、初当選以来、ぶれずに、一貫した姿勢で追求した政治体制であった。それがある意味目的でなく、手段に過ぎないことは十分に承知している。それでも悲願であったといおう。それ程強い願望であり、長い道程であった。高村光太郎の詩ではないが、予め私たちの前に道があったわけではない、私たちの後ろに道が出来たという感慨だ。
さまざまなことを思い出す。
16年前、無所属で初当選し、さきがけに入った途端に、自社さ政権となった。政治改革の流れに逆行することになると私は最後まで抵抗した。
旧民主党が結成され、総選挙後、与党になるか野党になるかという時、私は明確に野党になるべきだと主張した。同じ頃、新進党が解党し、自民に代わる政権政党を育てようということで、鹿野さんや岡田さんと連携を図った。
菅さんの人気が最高潮の頃、もしかしたらという思いもあり、政治主導での政権運営のあり方について報告書をまとめたのは1998年である。
代表選挙で前原・野田両氏の候補者一本化のために樽床さんと連携したこと。マニュフェスト運動の国会側の受け皿になったこと。選対委員長として5年前の参院選と4年前の衆院選を戦ったことなど、悲喜こもごもであった。
信念を貫いてきた人は皆万感の思いだと思う。私の政治活動にとっても一つの節目であり、いわば第一ステージが終了したといえる。
第二ステージも長く厳しい挑戦となるだろう。
地域社会の再生と少子高齢化社会の克服、これができれば未来への希望は再生され、世界から一目も二目も置かれ続ける日本になる。そのためのしくみのつくり直しが始まる。政権交代という変化によって生まれるエネルギーを活用して政治主導の政権運営をしていかねばならない。そうでなければ、天下り予算などから捻出するとした財源確保すらままならない。
昨晩、鳩山内閣が発足した。要所に政治主導を実践できる人材を配している。全体としては80点くらいか。バランスに配慮しすぎている点その他が減点の理由だが、むしろ80点くらいが丁度良い。ベストの内閣である必要はない。先は長いし、党にも人材が必要だ。
第二ステージは始まったばかり。
支援者などから閣僚にならないのかと言われるが、選挙中から言っていた通り、目立ちたがり屋の多い民主党なので、縁の下の力持ちになれるよう精一杯汗をかきたいと考えている。安定した改革政権を築くために、全体政局に目配せをし、政策の幅も広げ、僭越ながら若手のお世話をすることが、暫くの間の自分の役割だと考えている。
「道程」にあるように、いつも私たちは道の最端に立っているのだと思う。どんなものが出て来ても乗り越えて歩かねばならない。そして踏み込んでいかねばならない。
新たな松明が燃え尽きるまで頑張り抜きたい。