ふくしま人のプライドにかけて。
あの不条理(3.11)からもうすぐ7年。
必死でした。2011年3月11日から数ヶ月間、地元選出の閣僚として最後の砦たらんと決死の覚悟で前例のない事態と向き合いました。
原発事故で警戒区域を設定したがために救助が入れず、本来なら救えた命があったことなどを後に知りました。言葉もありませんでした。犠牲になられた方々の無念、ご家族の悲しみを想い、そのことを深く握りしめ、強く刻み込んでいます。
福島県の被災状況は多様でした。従って復旧、復興状況も多様です。前例のない対策もとり、私の選挙区も含め中通り地方や会津地方は根強い風評被害を抱えながらも震災前の日常が戻っています。他方、浜通りの第一原発のある双葉地方の復興はまだ緒についたばかりです。残念ながら1Fの廃炉も順調とはいえません。
インフラは立ち直りました。でもこれは復旧です。家族を失った方々の気持ちが前向きになって初めて復興したといえるのでしょう。そして弱者にこそしわ寄せがいっている現実に私たち国会議員は対処しなければなりません。
とにもかくにも前を向き、時々立ち止まりながらも前へ進まねばなりません。100年後、私たちの子孫たちに、先人たちや先祖は立派だった、よくぞあの不条理に立ち向かって復興してくれたといってもらえるようにしなければなりません。それはふくしま人のプライドです
平成30年3月9日 記
(福島県追悼復興記念式で献花)