東日本大震災復興特別委員会で質問に立ちました。(平成27年7月9日 議事録)
○玄葉委員 玄葉光一郎です。
次の五年間の復興の事業の規模であるとか財源のフレームであるとか、次のいわばスキームが決定をしたわけでありますけれども、このことについて後で意見を申し上げたいと思いますが、冒頭、概算要求までのいわば延長戦に持ち込まれた企業立地補助金について、大臣の考え方をお聞かせいただきたいというふうに思っています。
これまでの五年間の復興政策の最大のヒット作は、企業立地補助金とグループ補助金だったと私は思っています。この企業立地補助金について、大臣の考え方をお聞かせください。
○竹下国務大臣 企業立地補助金について、一応今までの、現状の法律では、平成二十七年度までが申請期間で、実施期間が平成二十九年度まで、こうなっておりますが、現実の問題を見てみますと、高台がまだできていないと、土地がないところに企業立地の申請もなかなか難しいし実施もなかなか難しいということもありますので、これは現状を最優先、現状に応じて延長も含めてしっかりと対応していかなければならない。
そして、玄葉先生がおっしゃいましたように、この地域が元気になるかどうかという鍵を握っておりますのが、雇用も含めた企業活動がどれだけ活発になるかだ、こう思っておりますので、まともに受けて考えていこうと思っております。
○玄葉委員 これは、このままいくと今年度で終わりということでございます。先ほど来から出ている例えばイノベーション・コーストの構想であるとか、これから除染が始まるような地域がある中で、必須のツールと言ってもいいのがこの企業立地補助金です。
それと、福島県全体を見ても、例えば鉱工業指数が、震災前の平成二十二年を一〇〇とすると、ことしの数値はまだ九三です。事業所数も、平成二十二年比が九一%です。したがって、これは十二市町村のみならず、県全体のための企業立地補助金を、是が非でも竹下大臣が頑張って、経産省と一緒に財務省とかけ合ってぜひ実現をしてもらいたい、継続を実現してもらいたいというふうに考えておりますが、もう一言ございますか。
○竹下国務大臣 悩ましい問題です。今まで、企業立地補助金の対象エリアというのは、津波の被災をしたエリアと福島県全体ということがエリアになっておったわけでありますが、今そのエリアをどうするかというのは非常に悩んでいるところでございます。
それ以外での支援で対応できるものもありますし、確かに企業立地補助金はほかのさまざまな制度から比べますと極めて手厚い制度でありますので、それをどう、どこまで実施していくか。打ち切るということはちょっと難しいというふうに正直思いますけれども、期間の延長で対応できるのか。エリアの問題についても、どう考えるかというのは悩んでいるところでございます。
○玄葉委員 ここは全くわからないでもないのでありますが、最低もちろん十二市町村は必要だということは、これはもう全ての人が一致していると思うんです。
先ほど申し上げたように、県全体が、これがあったから立ち上がれたというのが私の実感なんです。福島県人としての実感です。残念ながら、まだ、人手不足にはなっていますけれども、震災前の水準に戻るのにはまだまだという状況ですから、そこを踏まえてエリアをしっかりと設定してもらいたいというふうに思っています。
全く同じじゃなければ絶対だめだとは言いませんから、そこはかなりの程度柔軟に対応してもらいたいということを申し上げておきたいと思います。
最後に一言ありますか。
○竹下国務大臣 先ほどこれもお話がありましたが、福島県全体でほぼ九割のさまざまな企業の回復度合いだと。ただし、これは会津地方、中通り、浜通りによって数字は全く変わっておりまして、そうしたこともにらみながら判断をしなきゃならぬのかなと。まだ、そうはいっても、なかなか、えいやで今ここでお答えできる状況にはありませんが、悩んでおることは事実であります。
○玄葉委員 ぜひここは復興大臣が被災地の側に特に立って、しっかりと指揮をとってもらいたいというふうに思います。
その上で、復興庁が提示したスキームについて申し上げたいと思います。
結果としては、当初提示された案を大幅に見直したということで、まあまあのスキームになったと私は思っているんです。ただ、率直に申し上げて、ショックでした。当初の案が提示されたときにショックだったんです。
どうしてショックだったかというと、復興庁は福島県をよくよく知っていると自分は思っていたんですけれども、どうも、あの案が出て感じたのは、これは復興庁に対して危機感を持たなきゃいけないなと私は思いました。
つまりは、三・一一当時いた職員がほとんどいない。岡本さんぐらいですよ、次官ね。幹部では彼ぐらいです。本当にいないから、実態とかけ離れた案が残念ながら出てきた。これはショックだったんですよ。
つまり、原発事故の影響というものをどうも甘く見ているのではないか。原発事故があったから、例えば岩手、宮城と比較したって、本来だったらある道路は八割進んでいてよかったものが、一割とか二割しか進まなかったわけですね、それぞれの道路が。だけれども、同じスキームをそこに適用されていったらどういうことが起きるかというのは容易に想像できるはずなのですが、どうも当初の案。しかし、結果として、地元の反発あるいはそれぞれ国会議員が与野党ともに意見を言った結果として変わってきたわけでありますけれども、当初ああいう形で案が出たということは、復興庁の職員が十分理解していないんじゃないかということで私はショックだったんです。
それと、あえてもう一つ申し上げておくと、先ほど緊張感がなくなったんじゃないかという話がありましたが、私は、もちろん毎週末のように地元に帰りますから、いろいろな方々の意見を聞きます。はっきり言うと、丁寧さはなくなってきましたね。雑になったと多くの人たちが言っています、雑になったと。だから、復興庁よ、初心に戻れと言いたい。初心に返れと言いたい気持ちなんです。
どうしてあんな初回の提示案が出てきたのか。これは大臣、何でなんですか。
○竹下国務大臣 初回の、地元負担をしていただく、我々が出した最初の考え方、案というよりも考え方は、基幹的な事業と原発に由来する事業は全て引き続き国費でやります、ただし、防災あるいは地域振興等、全国共通する課題については一部地元負担をしていただきたい。
ただし、そこで、申し上げたかどうかははっきり覚えておりませんが、二つ条件がありまして、一つは、これも先ほど言いましたが、そのことによって、地元負担を導入することによって事業に支障が出る、おくれが出るということはやらない。それから、被災市町村の財政状況を考えたときに、過大な負担を求めても、そんなことは絶対無理ですから、厳しい負担は絶対に設けない、ほかの地域と一桁以上、桁違いの数字にとどめるということは当初から考えておりました。
○玄葉委員 もし当初案どおりだったら、私は、ずっと現場でも、現場でもというのは福島県でも、あるいは国会でも、復興庁をずっと批判し続けるよということを岡本さんにも電話して言ったんですけれども、やはりそのくらい驚いたんですよ。これは県側も相当驚いたと思います。
ですから、結果としては、いろいろな方々の意見を取り入れてもらって、もちろん自己負担、地元負担も行っていくんだけれども、大体おおむね納得できるような形になりました。
ただ、やはりそう思ったことを大臣にはよくお考えをいただいて、復興庁は現場を知っていると思っていたんだけれども、残念ながらああいう案が出てきたということを、やはりもう一回肝に銘じないといけないんじゃないかと思います。
さらに申し上げると、復興庁よ、初心に返れと申し上げましたけれども、細かい話のように聞こえるかもしれませんけれども、今回、例えばさまざまな事業をやめると言ったんですね。緊急雇用創出事業なんかで、例えば商工会に配置をしている、あるいは放射線の測定業務とか、それぞれやめると最初おっしゃったんです。やめるんだけれども、あとは各省庁と折衝してほしい、復興庁じゃなくて各省庁で予算をとっていこう、こういう話を、実は最初に説明を聞きました。
これはやはり初心に返らないとだめだと思うんですけれども、復興庁は何でできたんだということなんですね。復興庁というのは、各省庁の上に立って、まさに被災自治体の窓口になろう、ワンストップで窓口になろうというのがもともとのスタートなんですよね。それが全く逆のことをやっちゃって、それを指摘されて、結果としてはまたもとに戻ったんですけれども、やはりそこは本当に初心に返ってもらわないと、これから被災自治体は困るというふうに思いますので、そこはぜひ、大臣、肝に銘じてもらいたいと思いますが、いかがですか。
○竹下国務大臣 復興の進展に伴いまして、復興のステージは刻々変わってきていると私は認識をいたしております。そして、今感じておりますことは、後期、復興・創生期間において大事なことというのは、ステージといいましても、岩手と宮城のステージと福島のステージはまだ相当開きがあることは事実であります。特に、私が岩手と宮城について今感じておりますことは、ハードについては大体完成をするという、先行きが見え始めてきております。だけれども、これは復興にとって一番大事なことではない。私は、復興にとって一番大事なことは、その復興に魂を打ち込むことだと。
それはどういうことかといいますと、地域が活性化したり、ふるさとをしっかり取り戻したり、あるいは地域のコミュニティーというものを、一回ばらばらになったコミュニティーをつくる。田舎の強みはコミュニティーがしっかりしていることです。そういう魂を打ち込む仕事というのが、私は復興にとって一番大事であると。
今からまさに岩手、宮城はその局面に入ってくる。そっちの支援を相当徹底的にやらなければならないというふうに痛感をいたしておるところでございまして、ちょっと福島とはまだ距離感があるなということはありますけれども、そういった点を考えながらソフトを充実していくということ。
それから、復興の長期化に伴って出てきた新たな課題、新たな課題というか、深刻になった課題と言った方がいいかもしれませんが、心のケアの問題ですとか健康の問題、子供たちをめぐる問題等々、そういった分野がこれからますます重要になってくると痛感をいたしております。
○玄葉委員 福島の問題というのは多様で流動的で複雑です。まだまだやらなければならないことが多いです。ステージごとに課題も確かに変わってきます。ただ、初心に返らなきゃいけないところが復興庁にあるということを、私はきょうはきちっと指摘したいと思います。
最後に委員長に、ある意味失礼かもしれないんだけれども、委員長にやはり一言申し上げなきゃいけないのは、こういう大きなスキームを決めるときというのは、やはり委員会をぜひスキームが決まる前に開いて、そして意見を聞かないといけないと思います。
私、三・一一のときにちょうど与党の政調会長で、閣僚も兼任していて、カウンターパートは当時石破さんだったんですけれども、石破さんを通じて当時の野党の意見をたくさん聞きました。そういう機会もつくりました。委員会もたくさん開催しました。
今回は、スキームが決まってからこういう形でやるわけですよ。これは、せっかくこの委員会ができたのに、何か、それぞれの与野党の意見をこういう正式な場で言えないというのは非常によろしくない。
これは委員長として、最後に一言メッセージを出していただけますか。
○伊藤委員長 私は、常々理事会で申し上げているように、復興委員会はなるたけ多く、なるたけ長い時間、そしてまた時宜を得て開くべきだということを理事の皆さんにも申し上げているところであります。
玄葉先生御案内のように、委員長の権限だけで委員会を開くことは不可能ですので、筆頭間の協議に委ねておりますけれども、私は常にそういう意思を持って、玄葉先生と同じ気持ちで委員会を運営しております。
○玄葉委員 もう終わりますけれども、ぜひ、大事なことを決めるときは、その途中のプロセスで委員会を開いていただきたいと思います。
以上です。どうもありがとうございました。